ハンデなんか、この世にはない。
人に薦められて見に来た個展。
プロフィールに書いてあったのが
『幾多の経済的、家庭的なハンデを乗り越えて・・・』
と書いてある。
ハンデという言葉が3箇所に出てきた。
これを見たとたん、そこにかかっている作品が
全部薄っぺらく見えて来た。
この世に生まれた時から人は、
不平等という一種のハンデを皆が背負います。
生まれる家を選べないのです。
皆が天皇家に生まれて、葉山の邸宅で
“ご静養”できる身分ではない。
その天皇家とて、中身はいろいろ大変そうだ。
金持ちのボンボンという言葉があるけど
金持ちの家に生まれて“恵まれた”がために、
社会性や強さが十分につかなかったというハンデもある。
学歴もそう。同じ仕事をしていても
東大を出たクセにあの程度、と言われる一方、
あのバカ大学の出身でココまでできるのか、とほめられる。
ハンデとはいったい何でしょう。
ハンデって、
何かをハンデと思ったとたん本当にハンデになる。
そしてそのハンデを言い訳にすると、
本来あったはずの進歩がそこで止まってしまう。
ボクは死産寸前で虚弱だった体へのコンプレックスで
体を作る方法を研究して気がつくと美術モデルになった。
虚弱体型じゃなかったらモデルにはなっていませんでした。
コンプレックスや、いわゆるハンデは
力にしてしまうと強い味方になるのです。
だから、それはハンデじゃない。
自分に言い訳したって結局何も変わらない。
嫌なことでも真正面から見据えるささやかな勇気を持とう。
ハンデとは、何かを変えるチカラだ。
(今回は写真ナシの無愛想、スミマセン。)