「ボクは〇〇賞を取った画家ですから、コンテンポラリーな人物表現のエッジを行ってるんだと自分でも思うんですよー」 と言ってる画家さんに出会った。人物画をコンテンポラリー(現代的)に?? 表現のエッジ(先端、尖端)とは?と思いながら作品を見せていただきましたが笑ってしまいました。モデルやりませんかと言われましたが辞退させていただきました。
他にも同じような事はあったのですが、何か賞を取ってそれを鼻先にぶら下げているような物言いをする画家さんは、たいがい下手です。ボクなんかが技術論で下手などという資格はありませんが、絵を見る側の者としてぞの絵に心を揺さぶられるものが全くない。そういうものを下手と呼んでまして、これは決しておかしいことではないと思います。
では、なぜ下手なのか。それは現時点に満足してもっと高みに臨んでゆこう、とう気概が絵に現れていないのでしょう。凄みのあるプロってすさまじいですよ。80代の欄間の彫り師がテレビに出てて、学びたいものの半分もまだ学べてない、もっと高めたい、と言って寿命がいくらあっても足りないという。どんな分野であれ本物のプロで自分に満足している人は見たことがありません。極めるほど自分のアラに気が付く。だからもっと学びたい。その繰り返しが死ぬまで続くのでしょう。
あがいている、もがいている、そういう作品は美しいです。その人のありのままが出てみるものに共感を呼ぶものです。
ボクも自分の会社を持ち翻訳家であって体のメンテをしながら美術モデルもやってて時間がない。ボクには時間は貴重なものなのですが、それでも美術解剖学セミナーを東京まで行ってやったりデッサン・クロッキーイベントをやったりするのは、うまくなりたい、学びたいという人のお役に立つことで自分もまた一石二鳥で成長できるからです。美術モデルとしての理想像に対してはボクはまだ20点くらい。全然あかん。皆さんのモデルになる事でまだ学ぶことがいっぱいあります。
誰しもが、「もっとうまくなりたい」。 その気持ちが一生続きますように。
うまくなりたい、と7月の海斗のモデリングセッションに集まった方々。作っている姿が輝いていました。