2011年03月07日

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スパイスを振る

翻訳家としてのボクの仕事は、
一言で言えば文章に向かうというシンプルなものですけど
やっていることは 【枝葉を取っ払って幹をあらわにする】
という作業です。
コトバって、頭に浮かんできたものを文字という『記号』をつかって
パズルにして表現するものです。 感情の記号化。
自分のイマジネーションと感覚を絵というビジュアルに落としてゆく絵画、
その意味では、文学と絵画は同じような作業をしているといえます。
ボクの翻訳は、余計なものは一切バッサリ落としてから
必要最低限だけフリルをつける。
デルのパソコンみたいに最低限の機能しか搭載していない機種を
no frills (フリルなし) とかいうのですが
それと同じであとから付けたい部分はスパイスとしてあとから載せてゆく。
文章って、短いほどインパクトがあるのです。
これ和食と同じね。 素材の味を極限まで生かす。
余計なものは最低限に。 ただ、これはボクのやり方で、
他の人はフランス料理みたいにソースに凝って
ソースの味で一つの表現行為をする、というのもありです。
まったく、絵と同じようなポイントがあるでしょう。
そんなことをしてるウチに、
性格まで枝葉を取って幹を残す、になってしまいました。
枝葉にこだわる人を見たら、それで結局幹は何なん?と思ってしまう。
これは良いときも悪いときもある。
クロッキーモデルで立っていると、
指導者の声が響く。
髪の毛とか指先とかの細部にこだわるより
まずカラダ全体の流れをつかめ。
だから流れのあるポーズを心がけます。
ヌードの写真や絵は、おのずとno frillになりがち、
そこに各自アーティストがいろんなオカズを乗せて行く。
そのオカズが楽しいかな。
京都・路樹絵に凝られている写真家さんの
takoraさん。
これがHP、『灯火幻』
ちょっと、みてみてくださいね。