2011年11月22日

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習作

デッサンモデルを幾度と無くこなしてきた中で
これまた幾度と無くやってきたポーズに
ロダンの St.John the Baptist Preaching
(説教する洗礼者ヨハネ) があります。 

このポーズは立っているのか、歩いているのか。
それによって絵描きさんに与える印象が変わってくる。
つまり絵描きさんが描くスタンスも変わる。
美術モデルにはとても大事なポイント。
ボクの解釈はこれは 『立っている』。
歩いている人の動きを連写で撮った場合、
このように両足が完全に地に着いている局面は
健康な状態の普通の歩行には無いからです。
『歩いている』というヨハネをあらわすときは
ボクは左足のかかとをかなり浮かします。
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このヨハネが出来た22年後の1900年、
ロダンはこのヨハネから頭と腕を取った
『歩く男』(walking man) を発表します。
(歩く男、はヨハネの習作だとかつて言われていましたが、
年代でいえば逆だった)
頭と腕が無い、おのずと胴にだけ視線は集中する。
このインパクトはすごい。

このヨハネは立っているのか、歩いているのか。
タイトルにwalkingと付いているんだから
歩いているのですが、確かに左のかかとは上がっている。
地面も上がっているから、立っているように見える。
わざわざ地面を上げた、ここに作家の意図は有りますね。
ボクが『歩く男』をやるときは左足を浮かします。
なので、洗礼者ヨハネが ”歩いている” 様にポーズするときは
左足を浮かします。 
1月9日、大阪ROJUEの練習会のときはこれをやります。
これが写真だとどうなるのかな、と思う。
ただ写真は瞬間を切り取って写す。
ロダンはこういいました。

「真実を語るのは芸術家であり、偽るのは写真である。何故なら現実に
時間が止まることは決してないからだ」

さあ、どう考えようか。